今日はオンライン英会話だった。
私が英語を習ってる先生は、ポーランド在住のイギリス人の先生で、元映画監督ということもあり、いろんなことをご存知で、英語を学ぶ以上に、先生から色々な歴史や地理を教えてもらうのが楽しみで、かれこれ4年以上、同じ先生である。
英語力は全然上がらず恥ずかしい限りだが、こんな先生に出会えて本当にありがたいと思う。
今日のレッスンでは、先生がウクライナの隣国であるポーランドにお住まいということもあり、ウクライナ情勢の話になった。
直前の岸田総理の会見で、日本もウクライナから人を受け入れることになりそう、ということを伝えたら、ポーランドの状況を話してくださった。
間違ったことを書いてはいけないので、歴史的背景については、ナショナルジオグラフィックがまとめてくれた
「図説:ウクライナ独立から30年、ロシアによる圧力の歴史 ソ連崩壊、独立、NATOとの接近、クリミア併合、そして侵攻へ」を読んでほしい。
独立後のウクライナの歴史はロシアとの攻防戦だということがわかる。
[blogcard url="https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/030100094/?P=1"]
話を戻して、先生の住むポーランド。日本のニュースでも、ポーランドがウクライナの人をたくさん受け入れている様子が映されている。つい最近、受け入れたような雰囲気に見える映像だが、2014年のクリミア併合以来、ずっとウクライナから人を受け入れてるとのこと。先生の話では、ワルシャワ(先生の住む首都)でも、掃除、Uber Eatsなどの仕事に就いているウクライナ人をよく見かけるらしい。
国を追われて他国で働くのは大変なのだということが伝わってきた。
ポーランドに逃げた後は仕事を見つけるのは大変でも、安心して暮らせてるのかなと思った自分は本当に無知である。
ロシアはポーランドの隣国だったのである。
青く囲んだ部分が「カリーニングラード」というロシア領。こんなところにロシアの飛び地があるなんて、全く知らなかった!!
呑気に生きてきた自分が情けなくなった。
カリーニングラードができたのは、第二次世界大戦時の旧ソ連とドイツの戦いで、旧ソ連が勝利したかららしい。
第二次世界大戦を始めたのは日本。そう、日本がきっかけでこの飛び地ができたと言ってもおかしくないのである。
ダイヤモンド社の「ロシアの巨大な飛び地、カリーニングラードはなぜできたか」という記事が理解しやすかったので、無知な自分の恥ずかしさを忘れないために、リンクを貼っておく。
[blogcard url="https://diamond.jp/articles/-/269386"]
語学の勉強も大事だけど、歴史や地理を学んでおかないと、思わぬところで、他の国の人を不快にしかねないと感じた英会話のレッスンであった。